倍賞千恵子・小六禮次郎 対談
January 13.2016
※HAPPY HOURでは編集を行っていません。ゲスト及び参加者の発言内容に対し一切の責任を負わないものとします。
倍賞千恵子
1941年6月29日生まれ。東京都出身。
映画「男はつらいよ」のさくら役に代表される庶民派女優として、また歌手としても親しまれ活躍中。
「男はつらいよ」シリーズ全48作、「幸福の黄色いハンカチ」「ホノカアボーイ」他、延べ164作に出演。
2004年、宮崎 駿監督作品「ハウルの動く城」では声の出演と主題歌「世界の約束」を歌う。
www.baisho-chieko.com
小六禮次郎
1作曲・編曲家。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。主な作品として世界劇「黄金の刻」
映画「ゴジラ」、大河ドラマ「功名が辻」「秀吉」、連続テレビ小説「さくら」
みんなのうた「いらっしゃい」、ゲームソフト「決戦」等幅広く多方面にわたって活躍中。
また、倍賞千恵子と共演するコンサートを全国で公演し、好評を得ている。
小六さん
10年位前ね、もう色んなことがあってねどうしようかと思ってる時にそれがあって僕は救われましたね。これはこのままどこか具合悪くなるなって思いましたもんね。でも歩くことによって今のことをこの位の所だ から今日、今、解決したいって思って歩くと問題がシューっと小さくな るっていうかね、そんな感じがしましたね。なんだ、大したことないや って、こういう風にすれば良いやって。とりあえずこうしよって決められるっていうかね。決められないからストレスがあったんだよね。歩くことでそれが解消できたんですよね。僕は今でもストレス解消は歩くってことですよ、今は。遊びは逆に飛行機の中ではストレス感じたい位。むしろその位しないと面白くないっていうか。プレッシャーかかるくらい。
レオ
木田さん、何お飲みになります?
木田さん
赤ワインで。
克
じゃあ、私もそろそろ。
(笑)
克
今はよく言いますけども、ストレスって昔はあんまり言われなかったですよね。よくうちのお袋が言ってたんですけど「いつも最悪なケース考えたら、それ以下にはならないから」って。なんか明言だなって思って。
倍賞さん
そうね。本当にそうね。それ「サンライズサンセット」、「屋根の上のバイオリン弾き」の時の歌で「だが一歩これ以上悪くなりようがない」ってあるの。
克
あぁ。ちょっと生意気な意見ですけど、ユダヤ人と日本人のことわざとか結構似てるのあるかも、
倍賞さん
似てるかもしれないね。そうかもしれないですね。
小六さん
ガンガン食ってるなぁ。
倍賞さん
うん?
小六さん
これ凄くおいしいんだよね~。
克
どんどん食べて下さい。
小六さん
本当これおいしいんだよ。
倍賞さん
全体がすごくおいしい。
小六さん
うん、全体がすごくおいしい。
レオ
今日ちょっと小さいんですけど倍賞さんの大好きなオリーブも一応、
(笑)
小六さん
オリーブ下さい。おもいっきり下さいオリーブ。(笑)
倍賞さん
あの頂いたオリーブのビンがね、もう。
レオ
大丈夫でした?
小六さん
最高だよ。最高!
倍賞さん
すごくおいしくてね。北海道に1個持ってってあと家と。
レオ
はい。
小六さん
僕も好きだからね。
倍賞さん
うん。
克
あ、じゃぁ良かった。
倍賞さん
あれおいしい。とってもおいしい、びっくりした私。
克
なんか酒のつまみにちょこっと食えるの良いですよね。
小六さん
最高ですよね。
レオ
2人で探してね。
倍賞さん
もう、ありがとうございました。
レオ
うちの地元の青年達が「これ一番おいしいです」って持ってきて。
倍賞さん
本当においしいの。
克
あぁ良かった。あのときハワイで倍償さんが食べてたオリーブ大きくなかった?
倍賞さん
すごい大きかった。
木田さん
大きかったですよね。
克
それだけは覚えてる。ずいぶん大きいオリーブだなって。
倍賞さん
ちょっとマティーニを飲む時は絶対オリーブが。
木田さん
2個入れて下さいとか。
倍賞さん
トリプル。
小六さん
普通だと1個なのにね、ダブルなら分かるけどトリプルとか4個とかって。そのうちさ、マティーニ飲んでるのかオリーブ食べてるのか分からくなっちゃう。
(笑)
克
誰が最初にマティーニとオリーブを付け合わせたんでしょうね~。
倍賞さん
ねぇ、えらいね~。
レオ
そうですねぇ。
小六さん
よく考えたよ。
倍賞さん
お赤飯に紅ショウガとか、お赤飯にゴマ塩とか。
克
そうそうそう。なんでも最初にやる人は大したもんだね。
小六さん
うん。あっ、オリーブ来た。
倍賞さん
ん!まぁ色んなオリーブが入ってる。
小六さん
由美子もお箸だ。うちのお母さんだけがフォークね。絶対、お箸だよこれは。
(笑)
倍賞さん
外に出た時はなんかこうしたいの。
小六さん
んーおいしい。
レオ
倍賞さん、東京なんですか?出身は。
倍賞さん
うん。東京の巣鴨で生まれて茨城に疎開して、戻ってきて滝野川って巣鴨のすぐそばだけど、そこで育ったの。
レオ
そうですか。
倍賞さん
要するに下町ね。デビューしたところが滝野川っていうところなんだけど、屋根と屋根が本当にこんな風に折り重なってて、隣の家に行くのに傘なんていらないから、軒下を走っていくと行けるっていうようなところで育ったの。
克
あの、レオ覚えてないかな滝野川のおばさん。
倍賞さん
滝野川のおばさん?
克
小さい頃、よく滝野川に。
倍賞さん
えっ。
レオ
カッタンが小さい頃でしょう?
克
そうそう。いや、お前が小さい頃1回連れてったかもしれないな。
倍賞さん
滝野川のおばさんだって。滝野川5丁目。
克
滝野川って裁判所ありましたよね。小さい昔の古い家で、戦前に親父がそこの2階で戦争行く前にカバン作ってたって。
レオ
へ~。それ知らなかったなぁ。
倍賞さん
あ、聞きたかったの。カバンってどこ、いつ頃から、突然話が飛んじゃった。いつ頃からカバンを?
克
うちの親父が始めてからもう74年、
レオ
1935年です。
小六さん
創業は、お父さんが?
克
うちの親父が、
小六さん
創業?
克
ええ。親父が始めたんですよ。上野の黒門町の革の職人の丁稚小僧。
小六さん
70年以上前。戦前ですよね、もちろん。
克
そうです。だから関東大震災は丁稚のころを経験してるんで。
小六さん
大正10・・・何年でしたっけ?11年?